こんばんは、mone子です。
今日は暗闇の中で記事を書いております。
電気付けると、寝る時に起き上がって消しに行くのが面倒なのです。
怠惰の極み、まるでヨギボーに群がる馬のようです(飲み会で食べた馬刺しが美味しすぎてつい意識)。
今日、大変興味深い話を聴きました。
誕生日
についてです。
私は誕生日が近付くにつれ、自分の首がどんどん絞められていくような、そんな苦しさや恐怖を感じています。
しかし誕生日があること、それ自体が幸せとも言えるのです。
憂鬱な誕生日
私にとって誕生日とは、こどもの頃は、みんなから祝福されて、プレゼントをもらえて、自分を取り巻く環境が大きく変化する印象的な日でした。
でも多くの大人にとっては 、毎年、誕生日という大層な名の、何ら変哲が無い日の朝が来るだけ。
仕事、家庭、休日、普段通りに日々のタスクをこなすだけ。 誕生日休暇なんて無い。
年齢を重ねたからといって、進級(大人にとっての昇進?)は約束されてない。
良い場合は、周りの人がお祝いの言葉やプレゼントをくれるんでしょうね。
私の場合、親以外に祝ってくれる人はいません。それでも嬉しいけどね!
そもそも他人に自分の誕生日を教えないです。
何のアピールだよって感じだし、プレゼントねだるがめつい奴だと思われたくない。
でも本音を言えば、周りの人から、祝福されたいなぁ。
でも大して仲良くない人に気を遣わせて、おめでとうと言ってもらえても、逆に申し訳なくて。気まずい雰囲気になりますよね、、、
私にとって誕生日は、家族の愛情を感じる一方で、家の外では自分が孤独なことを思い知らされる日。
誕生日で若さを失う
なぜ今回誕生日の話なのか、最近時間に追い詰められてる感じがするからです。
以前の記事でも触れたと思います。
「mone子はまだ若いんだから」
「若いっていいよね〜やりたいこと何でもできるし」
「人生短いんだから後悔しないようにね」
善意や褒めの言葉でさえ、時に私を焦らせます。
やりたいことに全集中したいなら、私は就職なんてしてない。
確かに第二新卒枠とはいえ、社会人の中では若い部類ですが、そんな言葉をかけられるたびに、もっと若い時にやりたいことやれなかった後悔が溢れてくる。
今必死に頑張っている仕事や引っ越しでさえ、選択を後悔しそうになる。
何か特別なことをしなければと、もどかしくて不安にせき立てられる。
私にだって夢はある。でも、こんなに忙しいのに無理だと、諦めることが増えた。
若さが無くなったら、自分には何が残るんだろう。
誕生日が来るたびに、1年若さを無駄にしたな、と自分にがっかりします。
私にとって誕生日とは、若さを失う恐怖と焦りに囚われる日。
誕生日がくればくるほど、私は失敗が許される言い訳と、夢を追う時間を失っていく。
誕生日がある、それ自体が奇跡
しかし今日、自分の誕生日が分からない人が大勢いるという話を聴きました。
生まれたばかりで施設の前に置き去りにされたり、戸籍が無かったり、、、
誕生日を祝う意味が分からない、誕生日なんて知らないし、祝福されたことも無いから。
ドラマではよくある話でも、やはり現実でもそういうことがたくさんあると言われ、 私は大きな衝撃を受けました。
そこで私は、「Bleach」という有名な漫画のとあるシーンを思い出しました。
168話で藍染惣右介というキャラが放ったセリフ。
「自分の生まれた日が何時か、なんて憶えてる人は誰もいない。
ただ自分の信頼する人が告げた日を、そのまま信じるしかないんだ。
本当かどうかは問題じゃない、
「自分の誕生日を知っている」ことそれ自体が既に幸せなんじゃないかと僕は思うんだよ」
自分の誕生日がわかるのは、生まれた時にそばにいてくれた人が伝えてくれたから。
赤ちゃんは、他者に自分の運命を委ねるしかない。
誕生日があること、誕生日まで生きてこれたことは、それだけですごく幸運だと思うのです。
改めて、両親に感謝です。
私の誕生日はついこの間終わり、まだしばらく先です。
忙しさや、唯一祝ってくれる両親がいない寂しさの中でも、
自分だけは自分の誕生日を祝ってあげたいなと思います。
私が頑張って生きてきた証として、そのくらいは許されるよね。
いつか、誕生日を祝ってほしいと思える友人も欲しいな、、、
それではまた次回!!


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